TOEFL Mail Magazine Vol.40

特別企画 日本でのTOEFLテスト40年を振り返って
第5回:留学ブーム
 
現在220カ国*1以上の国で年間約72万人*2が受けているTOEFLテスト。そのスコアは全世界の5,000以上の機関に利用されており*2、なお増えつつあります。今年の9月から(日本では2006年以降)次世代TOEFLテストが導入されるにあたり、40周年を迎えたTOEFLテストの歴史を、開発の経緯・データ・当時のエピソードなどを交えながら、シリーズで振り返ってみたいと思います。

*1
TOEFL® Test and Score Data Summary 2003-2004 Test Year Data; ETSより
*2
TOEFL® Information and Registration Bulletin 2005-2006(PBT、CBT用)より
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第4回では、当協議会が米国ETSの委託を受けてTOEFLテストの日本事務局となった経緯をたどりました。

1980年代は、日本でのTOEFLテスト受験の広がりがピークであったといえるでしょう。それは80年代後半になってさらに顕著になります。1985年頃からは日本では留学ブームと呼ばれ、さらに多くの人が海外に飛び出していきました。それに伴い、日本でのTOEFLテスト受験者も増加の一途をたどります。毎年約1万人ずつ増え、1990年に入ると、ついに1年間の受験者数が10万人を超えました*。(次号に続く)

【写真:'TOEFL Test and Score MANUAL 1983 Edition; ETS' 当協議会TOEFL事業部保管】

TOEFL Test and Score MANUAL 1983 Edition
(*当協議会内部資料より)

 
 当時の日本

「それいけ!アンパンマン」政治面では、1985年に男女雇用機会均等法が成立、翌年に施行されました。1989年には昭和天皇が崩御し、皇太子明仁親王が即位され、元号が「平成」に改元されました。また、同年には消費税(当時3%)も導入されました。
社会面では、1985年に「スーパーマリオブラザーズ」発売、1988年には「それいけ!アンパンマン」がスタートし、音楽では「光GENJI」がピンクレディ以来の大ブームを巻き起こしました。

【画像:http://www.ntv.co.jp/anpanman/より引用】

 
 当時を振り返って

今回は、当協議会がTOEFLテストの日本事務局になった1980年代にCIEE東京事務所長を務めていた井上雍雄(いのうえ・やすお)先生に、当時の様子を伺いました。

 
 プロフィール:井上 雍雄(いのうえ・やすお)氏
井上雍雄(いのうえ・やすお)氏
1956
東京大学教養学部教養学科(国際関係論専攻)卒業
1956〜1967
財団法人国際文化振興会職員
1967〜1988
CIEE(国際教育交換協議会)東京事務所職員
(1975〜1988 東京事務所長)
1989〜1991
桜美林大学国際学部助教授
1991〜1999
桜美林大学国際学部教授
(異文化コミュニケーション論、国際交流論等担当)

(1989〜1991同大学国際交流センター長)
(1997〜1998同大学外国語教育センター長)
(1997〜1999同大学大学院教授・教育交流論担当)

1999〜現在
米国カリフォルニア州在住

【主な出版物】
1989
『話題源・英語』(全2巻)編著者(東京法令出版社)
1990
『日本人の常識と社交性〜外国人とのコミュニケーションを良くするために』(創芸社)
1994
『教育交流論序説』(玉川大学出版部)
1997
『大学カリキュラムの再編成〜これからの学士教育』(共著)(玉川大学出版部)
1998

『アメリカの学生と海外留学』(訳書)(玉川大学出版部)

 
 日本でのTOEFLテスト事始 -2-
受験会場の開拓
  CIEEのTOEFL室長であった武田さんの記憶では、日本での初めてのTOEFLテストをCIEEと深いつながりがあった明治学院大学にお願いした。2教室を借りて、1981年7月に実施した。私が責任者となり、教育交流プログラムを担当していた職員数名を動員して行った。実施に先立ち試験実施者用マニュアル(Supervisor Manual)を読んだのだが、これもその難解さには悩まされた。一度実施してしまえば、「なぜあんなことが・・・」ということでも、未経験者にはマニュアル上での指示はとても簡単に理解できるものではなかった。
試験会場を開拓する仕事は主として私が担当した。試験のやり方を自分自身が理解していないと試験実施を依頼できにくいということがあって明治学院大学で経験を積んだわけである。会場としてはETSからの指示もあり、主として交通の便がよい大学を先ず候補としてあげた。CIEEが実施していた大学生対象の米国夏期大学講座を通じて親しくなった早稲田大学、慶應義塾大学、国際基督教大学、関西では京都外語大学などに依頼することにした。ある年の8月に早稲田大学の大教室で実施したことがあった。古い大学であったため空調設備がなく、ヒヤリング・テストのときは35分ほど窓を締めっきりにするため、室温が急上昇し受験者は試験に神経を集中することができないような状況だったし、気持ちが悪くなる人もでてきた。後日何人かの受験者からは筋違いにもかかわらず早稲田大学に抗議の電話があり、以後同大学では教室を貸さなくなってしまった。
TOEFLテストの試験会場となることは、実は試験の前日の会場設営、試験問題の保管、当日の試験実施などETSからの細かい指示通りに行う必要があり、実施責任者はかなり神経を使うことになっていた。その責任の度合い、使う時間の割合に比較して、ETSが定めた謝礼の額が低く、教室提供と人の動員までお願いできる大学はそれほど多くはなかったことが実情であった。
ETSの方針として、日本にある語学学校にテストを委嘱することは禁じていた。1980年代からTOEFLテストの試験を行っていた四谷の日米会話学院だけは例外であった。語学学校ではTOEFLテストを実施できることは学校の質を高める宣伝となるので、CIEEへのアプローチはかなりあったと記憶している。テスト問題を試験当日まで安全に保管することにETSは神経をつかったので、語学学校に試験の実施を依頼した場合に、自校の生徒でTOEFLテスト受験者に事前にテスト問題がもれてしまうのではないかとETSが懸念したためであったと思う。
 
臨時会場の設置
  受験者は増え、それをさばくためには会場を借りてCIEEの職員をはじめ外部の有志に依頼して試験を実施せざるを得なくなった。このような会場を臨時会場とした。留学生交流の仕事で関係が生まれた東京のJR総武線・中央線の千駄ヶ谷駅前にある津田スクール・オブ・ビズネスや飯田橋の秀栄教育センターをほとんど毎月借りることができ、大体800〜1200人前後の受験者をここでさばけることになった。主として私が責任者として両会場を担当した。月によって試験が行われる曜日が土曜日と金曜日に分かれていた。土曜日は朝の9時までに、金曜日は午後1時までに受験者は受験会場に集合することになっていた。私たち試験を実施する者はその1時間前までに会場に到着し、受付場所を設置したり、受験教室の机に受験者のための通し番号札をはる作業などがあった。
試験問題が外部にもれないように試験当日の朝私が試験問題をTOEFL室まで取りに行き、タクシーで会場まで行き、土曜日の場合は午前8時までに会場に着くような段取りだった。したがってTOEFL室の職員は土曜日であるにもかかわらず交代で朝7時前には待機している必要があってたいへんな思いをしていたに違いない。
 いつの頃であったか記憶にはないが、NHKからTOEFLテストについての取材申し込みがあって、私が津田スクール・オブ・ビズネスでカメラの前に立ったことがあった。受験者が多く、会場難で受験者が困っていることは当時のアメリカ留学ブームにとって小さいことながら、ひとつの社会問題であり、この事情を放送を通じて社会に訴え、会場を増やす手伝いをしようという意図があったと思う。
私がCIEEを辞め桜美林大学国際学部へ移ってから東海道線の二宮に引越したが、土曜日の時は朝4時に起床、5時ごろに電車で乗って東京に出るということがあり、2ヶ月に1回だったので、それほどつらいことであったという記憶はない。プロクターの役を引き受けてくれた人たちも張り切ってテストの監督をこなしていた。
受験者は写真付き身分証明書とETSへ提出する顔写真を持参することが義務付けられており、受験要項にそのように明記されているにもかかわらず、受験者が慣れていないこともあり、2点とも持ってこない人がでてきたり、期限切れのパスポートをもってくる人もおり、受験不可を伝える私としてはずいぶんつらく感ずることがよくあった。
また、時間に遅れてくる受験者の対応など、受付の窓口でよく受験者とやりあったことが今でも鮮明な思い出として残っている。中央官庁のエリート国家公務員とおぼしき人物で過去に数回津田スクールで受験しているらしい受験者がテスト問題が配られるのは大体集合時間後30分であることを知っているらしく、集合時間に15分程度遅れて受け付けに現れた若者が「大金を払っているのだ。受験させろ。受験にはまだ間に合うはずだ」と私に食ってかかってきたことがあった。こちらも意地で最後まで受け付けなかったことがあった。今でも忘れることができないことは、仙台から新幹線を使って千駄ヶ谷の津田スクールまで受験のため来た高校卒業直後と思われる女性がきたが、写真付き身分証明書をもって来ていなかったので、申し訳ないことだったが、受験不可で帰ったもらったことがあった。
CIEEの役割

アメリカの大学へ留学したいという希望者がどんどん増えるに従い、TOEFLテストの受験手続が日本で行われるようになったことは受験者にとってとても便利となり、かなりメリットが大きかったと思う。CIEEにとってはTOEFLテストの仕事は収入増につながることでもあった。これもまたは余談としても、TOEFLテストの試験問題そのものは必ずしも理想的ではなかったと思う。口頭表現の部分が欠けていたからである。しかしアメリカの大学では外国人留学希望者の選考に英語力を測るにはTOEFLテストが唯一のテストであった。一般的にいって日本人は筆記試験の受験では鍛えられてはいるが、人前での口頭表現はかなり苦手の人が多い。TOEFLテストで高得点をとっていざアメリカの大学へ留学してみると大学側では日本人留学生が十分に話すことができない例にかなり遭遇したといわれている。
 いずれにしても国際化の波をもろに被った日本としてはビジネス界の共通言語となった英語を駆使できる人ができるだけ多く必要であるという認識があり、年間3万人以上の日本人がTOEFLテストを受けてアメリカへ渡って行ったのである。1992年には年間のTOEFLテスト受験申し込み件数が10万人を突破した。このうち全員がアメリカ留学を志していたのではなく、自分の英語力を試したいという受験者も出ている。いずれにしても留学希望者が以前とは比較にならないほど手続き的に楽に試験が受けられるようになったことは明らかである。教育交流促進に役立つことを願っていたCIEEの仕事としては、我田引水的な表現になってしまうが、TOEFLテストの事業はまさに理想的なものであったと思っている。

井上雍雄(元CIEE東京事務所長)

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