TOEFL Mail Magazine Vol.38
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特別企画〜日本でのTOEFLテスト40年を振り返って〜
第3回:発展の70年代
 
現在90カ国以上の国で年間約72万人が受けているTOEFLテスト。そのスコアは全世界の5,000以上の機関に利用されており*、なお増えつつあります。今年の9月から(日本では2006年以降)次世代TOEFLテストが導入されるにあたり、40周年を迎えたTOEFLテストの歴史を、開発の経緯・データ・当時のエピソードなどを交えながら、シリーズで振り返ってみたいと思います。
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TOEFL® Information and Registration Bulletin 2005-2006(PBT、CBT用)より
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第2回では、開始された1964年から2年間で1,710人だった日本人TOEFLテスト受験者が、開始5年間で7148人(累計)に上ったことがわかりました。70年代になると、米国ETSの受験者データも開始当初からの累計ではなく、数年ごとにまとめたものになりましたが、それでもまだ統計時期はばらばらだったようです。

1973年には、多くのTOEFLテスト受験者が将来的に大学院に進む可能性があるとの理由から、the Graduate Record Examinations® (GRE) Boardもthe College Board® とETS?®に加わり、プログラムの共同運営が始まりました(注1)。また、広範囲の研究の結果、1976年には今まで5つのセクションで構成されていたTOEFLテストに3つのセクションのテストが開発・導入されました。Section1はListening Comprehension、Section2はStructure and Written Expression、そしてSection3はReading Comprehensionです(注2)。つまり、現在のペーパー版TOEFLテストの形式です。30年前に開発されたものだったのですね。

現在残っているデータから、1976年9月から1977年5月までの8ヶ月間でTOEFLテストを受験した日本人は7,876人とわかります(注3)。お気づきのように、開始5年間の累計人数より、この8ヶ月間の人数のほうが上回っています。70年代に入って急激にTOEFLテストの認知と、世界へ飛び出す人の数が増えたといえるでしょう。

TOEFLテスト参考資料また、1978年9月から1980年8月までの2年間の日本人受験者数は37,064人でした(注3)。この頃になると、もう日本人のTOEFLテスト受験の勢いは止まりません。当時、受験希望者は米国ETSに直接各自で申し込みを行っていましたが、増加し続ける日本人受験者の対応に追われた米国ETSは、日本でのTOEFLテストの窓口を探すようになります。
【写真:当時ETSからFAXにて送付された、1978年9月〜1980年8月までの、
      Native Country別の受験者数と平均点のデータ(アジアの箇所を抜粋)】

注1
出典:`TOEFL Test and Score Data Summary' 2003-2004 Edition; ETSより
注2
出典:`TOEFL Test and Score MANUAL' 1983 Edition; ETSより
注3
当時ETSからFAXにて送付されたデータ。誌名不明。国際教育交換協議会(CIEE) TOEFL事業部保管
 
■ 当時の日本
TOEFLメールマガジンイメージ画像1970年には日本で最初の国際博覧会である大阪万博が開かれ、約6,400万人の人が訪れました*。また、1973年には第4次中東戦争をきっかけに石油価格が急激に値上がりする石油危機(オイルショック)が訪れ、トイレットペーパーの買いだめ騒動などが起きました。1974年には野球界の大物、長嶋茂雄選手が現役を引退しました。

【写真および記述データ(*の箇所):http://www.expo70.or.jp/より引用】
 
 当時を振り返って

今回は、1970年代後半にTOEFLテストを受験された早稲田大学商学部の森田彰(もりた・あきら)教授に当時を振り返っていただきました。

 
 受験までにへとへとだったTOEFLテスト
森田 彰氏そうか、もう四半世紀以上前になるのか。妙に暑い日だったなあ。。。メルマガ編集者から依頼を受けて、あの日のことが昨日のことように思い出された。

1970年代後半、2年間の教養課程の後、ふらふらと英文科に進学したものの、早稲田実業という系列校からの推薦入学だった私の英語力は惨憺たるもので、同級生の読書量の半分にも及ばない。そこで、手っ取り早い学習目標を探していたら、悪友にTOEFLテストを紹介された。
「英検は落ちるが、TOEFL テストは落ちるってわけじゃないぞ。」
落ちるという言葉に特に敏感な推薦生はこれに飛びついたのだが、実はこれが大変だった。

まず当時は、全ての書類を揃えて、アメリカに直接受験申し込みをしなければならない。細かいことは忘れてしまったが、確か山王ビルのフルブライト委員会(編集部注:日米教育委員会)で手に入れた申込用紙と格闘し、数少ない日程と受験会場を確定し、法外?な手数料で小為替を用意する。フォームをポストに入れた時にはどっと疲れが出て、少しは休ませて欲しいという気持になってしまった。

TOEFLテスト参考資料受験参考書も多くは「洋書」である。もともと力があって受けるわけではないから、解説を読むのも大変だった。どんな試験なのかを把握するのに、随分時間がかかった気がする。正解の確認にも一苦労だった。右の写真は、私が実際に使った参考書である。ご同輩には懐かしい、ソノシート(ぺらぺらのレコード盤)付だった。2枚のソノシートに4つの Model Test の Listening 部分が入っている。映画や極東軍放送 FEN のニュースくらいしか聞いたことのなかった私には、とてもクリアな英語だとはわかったのだが、ちんぷんかんぷんだった。とにかく、受験当日には、準備にかけた労力でへとへとであった。そんな最初の受験で記憶していることといえば、世の中にこんな試験があったのか、という衝撃しかない。

【写真:当時使用したTOEFLテストの参考書と1979年のスコアシート送付の封筒・GREの受験票封筒】

その後、大学院進学を考えて、また何度か受験したり、日本の学校では大の苦手だった数学でしか点数のとれなかったGRE を受ける頃になって、ようやくゆとりのようなものが生まれてきて、試験の内容も頭に残った。シロクマの肌は黒い、という知識を得たのも、確か TOEFL テストの長文だったと思う。
そんな私が、後にTOEFL テストの Supervisor を務めるとは、それが人生の妙かも知れない。振り返れば、あのTOEFLテストが、私の英語教師としての原点といってよいだろう。

森田 彰(早稲田大学商学部教授)
 
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