For Lifelong English

  • 鈴木佑治先生
  • 慶應義塾大学名誉教授

第106回 「アメリカ合衆国」多様性をエネルギーに変えてきたグローバル国家:サイエンス・トップの高校生の83%が移民の子弟

83% of America’s Top High School Science Students Are The Children Of Immigrants” by Stuart Anderson (Forbes)の記事は、アメリカ合衆国の多様性の源であり続けてきた移民に対する最近の風潮に一石を投じています。最近移民としてアメリカに移住する日本人は激減しましたが、下記要約の(3)に該当して仕事でアメリカに滞在し子どもたちを現地の学校に通わせるケースは増えています。筆者も昨年1人の卒業生からある相談を受けたばかりです。その人は1980年代に慶應義塾大学経済学部で筆者の英語クラスを取り、その後University of Illinois, Urbana-Champaign のBusiness Schoolでビジネス修士号(MBA)を取得したシカゴ在住の起業家ですが、お子さんのアメリカ大学進学についてカウンセリングを求めてきたのです。

Stuart Anderson氏は、首都ワシントンにあるindividual liberty, free market, peaceをモットーに掲げるシンク・タンクThe Cato Instituteの研究員で、The National Foundation for American Policyと称する機関の主宰を兼ねる公共政策の専門家です。読者の皆さんも読んでみましょう。TOEFL iBT® テストでは難易度中程度のリーディングです。自分の意見を英語で書いてForbesに投稿するのも良いですね。以下要約してみます。

  1. 移民を拒んだ場合、アメリカが失う最も重要なものは彼らの子供たちがもたらす貢献である。
  2. The Society for Science & the Public という機関により毎年行われている由緒あるThe 2016 Intel Science Talent Search(STS)で、ファイナリストとして決勝に残った生徒40名のうち33名(83%)は移民の子弟である。
  3. 移民以外に、海外駐在員などH-1B就労ビザ保持者は、アメリカの人口の1%にも満たないものの、アメリカ生まれの親を持つ子弟に比べて、4倍の数の2016年STSのファイナリストがいる。
  4. 元留学生の子弟はアメリカ生まれの親の子弟よりSTSファイナリストになりうる可能性が高い。40名中の27名(68%)が元留学生の子弟である。もし、留学生が卒業と同時にアメリカに残れないとしたら、アメリカ社会には多大な損失になることを意味する。(*1)
  5. ファイナリストの内の3名(7.5%)は、個人的なスポンサーに呼び寄せられた元留学生の子弟である。
  6. 40名のファイナリストの内、14名はインド生まれの両親を持ち、11名は中国生まれの両親を持ち、7名はアメリカ生まれの両親を持つ。インド人も中国人もアメリカの人口の1%に留まる。
  7. そのほかにも、ファイナリストの両親のバックグランドは、カナダ、キプロス、イラン、日本、ナイジェリア、シンガポール、韓国、台湾と様々である。
  8. 移民の子弟がアメリカのサイエンスにもたらす影響は年を追うごとに増大している。2004年STSでは、40名中24名(60%)が、少なくとも片方の親が移民であったが、2011年STSでは28名になり、2016年STSでは33名(83%)に急増している。
  9. STSは“Junior Nobel Prize”とも称され、STS表彰者の95%はその後も科学者としての道を選び、内、70%以上はPh.D.やM.D.などの博士号を取得している。2016年受賞者の多くもその道に進むことを希望している。
  10. 2016年上位受賞者9名の内の7名は、The First Place Medal for Basic Research を受賞したAmol Punjabi君を始めとする移民の子弟である。
  11. これらファイナリストに残った移民の子弟のインタビューを通して分かるのは、彼らの両親が自らを犠牲にしてまで、我が子がよりよい生活を送ることを願い続けてきたこと、どこで生まれようとも、一般のアメリカ人と同じくらいアメリカ人であることである。
  12. セメントの改良というとても実用的な研究で表彰されたAugusta Uwamanzu-Nna君の父親はナイジェリア内戦で教育を受ける余裕もない逆境の中、physical therapistの資格を取得し、H-1Bビザで渡米し、子どもたちになんとか良い教育を受けられるよう働き続けてきた。そうした両親の苦労を見ながら、なんとしてでも成功しようという意欲が湧いたとAugusta君は言う。そして「アメリカはあらゆる機会を与えてくれる地だ」と結ぶ。

この記事では語られていませんが、不幸にして征服され土地を奪われた先住民族や奴隷として連れて来られたアフリカ系の人たちの貢献も忘れてはなりません。大陸の各地に住んでいた先住民はそれぞれが独自の文化と伝統を持ち、部族が小規模の国家(nations)を築いていたとも言われています。また、アフリカから奴隷として連れて来られた人たちは、多くが、部族のみか家族もバラバラに引き裂かれ、劣悪な住環境と労働環境の中で生き延び、独自の文化を築いてきました。

前号(第105回 アメリカ留学の大学選び―多様性の認識、リサーチ・マインド、Critical thinkingをベースに)で述べたとおり、元々東西南北に広がる広大な国土に比例して地理的、気候的な環境の多様性が備わっていました。例えば、北欧系の移民は早くからミネソタ州やウイスコンシン州など母国の気候に似たところに定住したと聞いています。元々、New York市(New York City)(*2)は、19世紀後半からヨーロッパ各地の移民の多くが最初に上陸した街として急成長しました。映画The God Father Part 2にも描かれているように、これらの移民は19世紀後半から約半世紀の間、近くのEllis島に設けられた合衆国移民局で審査を受け、合格するやそれぞれの母国の人たちが住み着いたスラムに移り住んで行きました。ヒスパニック系、イタリア系、ポーランド系、ユダヤ系、それに、後にアフリカ系や中国系の移民たちの街が肩を寄せ合うように広がっていきました。New York市はまさに移民文化が作り上げてきた多様性を地で行く街なのです。

西海岸でも、Los Angeles市やSan Francisco市を中心に19世紀からアジア諸国からの移民が上陸しました。San Francisco市では、San Francisco湾内のAngel島の合衆国移民局で認められた中国人や日本人の移民が、San Francisco市内のChina TownやJapan Townに移り住みそこからアメリカ各地に散らばって行きました。特に、中国人移民は早くから鉄道開設の労働力として、アメリカ各地に散らばって行きました。日本人の多くは農業労働力として、カリフォルニア州各地の農場に送られ、カリフォルニア州の農業や造園業に多大な影響を及ぼしました。

筆者は、1970年頃San FranciscoのJapan Townの日系アメリカ人3世によるボランティア組織KIMOCHI Inc.(気持会)で彼らの祖父母の1世と彼ら3世の通訳をする傍ら、1世からは戦前から戦後における激しい人種差別の中で耐え忍んできた苦労話をたくさん聞いたことがあります。日本人移民だけとってもその背景は複雑でした。明治生まれで、東北、四国、山陰、九州、沖縄出身者が多く、江戸から明治にかけての歴史的背景も漂わせていました。幕末の会津から亡命のようにして逃げてきた人たちが、アメリカで薩摩や長州出身の人たちと遭遇するのです。あまり多くを語らなかった一世の古老たちからは、そうしたいがみ合いをも忘れさせるほどの人種差別を堪え、2世や3世に教育を受けさせてきた苦悩がにじみ出ていました。

もちろん、いわゆる、社会的な優位性を保ってきた西ヨーロッパの移民たちも、それぞれが多様性に満ちていることが分ります。大英帝国(United Kingdom)からの移民をとっても、アングロサクソン系に比べてアイルランド系やスコットランド系の人たちの道のりは険しかったようです。筆者の親友の祖先はスコットランド系ですが、South Carolinaで森林関係の過酷な労働に従事していたようです。1939年にリリースされた映画Gone with the Wind「風と共に去りぬ」は、Georgia州Atlanta近くのTaraという町のアイルランド系大農園主の家に生まれた女主人公が、南北戦争で没落していく激動のさまを描いたMargaret Mitchellの小説に基づいています。南北戦争以前にアイルランド系の移民が成功するのにはそれなりの苦労があったのでは?と、筆者にはそちらの方に興味をひかれてしまいます。(*3)

すなわち、アメリカ合衆国は建国以来、数多くの移民が集まり、それぞれが多くの葛藤を抱えながらも、それぞれ独自の貢献をしてきた結果生まれた近代国家です。今でこそglobalizationという言葉が脚光を浴びていますが、The Globe、すなわち、「地球」の恐らく全地域から人々が集まり、民主主義憲法の下で人民の平等を訴えてまとまってきた、globalizationを地でいった法治国家です。

筆者が滞在した1970年代には確かに、人種間の境界線は緊張していました。1969年から1972年までOakland市ではEast Oakland地域と山の手は別世界でしたし、その後1973年から1978年に移り住んだWashington D.C.では、North WestとNorth East、South EastやSouth Westとは別世界でした。しかし、あれから40年、今では、それぞれが調和した新しい街並みを作っています。そのキーワードは多様性の調和です。

アメリカは社会のあらゆる分野で、ありとあらゆる人たちが多様な文化と知見を持ち寄り葛藤しながらも何か新しい物を生みだすメカニズムを内蔵した稀なる国家であると思います。アメリカの大学がなぜ世界のトップ大学に列挙されているのか、それは世界各地から集まる優秀な学部生と大学院生が自由に競争して火花を散らし、かつ、コラボレーションをして新しい知見を生みだすからであろうことは、筆者自身も多くの優れた国内外のクラスメートを見て実感しました。今回取り上げた記事では、そうした苦労をした留学生がアメリカに残りその子または孫たちが中学校や高等学校のscience科目で卓越した成績を残していることを如実に物語っています。

これはアメリカの宝でしょう。言ってみれば、アメリカ人のほぼ全員が先祖をたどれば移民でありその末裔であるわけです。移民を否定することは自己否定にも成りかねません。アメリカにはこれまでの伝統を守りつつ、かつ安全保障を高め、他国の範となるような政策を期待します。アメリカにそれができなければ、おそらく、globalizationは非常にゆがめられた形で浸透し、恐らく、1977年リリースの映画Star Warsのような世界が待ち受け、1968年リリースの映画Planet of the Apes 「猿の惑星」のような結末が待っているかもしれません。

最後に、この記事を見ても現在日本人留学生がいかに少ないかが見えてきます。今こそアメリカ留学を勧めます。アメリカ本国も含めて世界中の国々の超一流の留学生とコラボレーションできるからです。筆者が若ければ躊躇せず行って武者修行をします。野球選手でいえばMajor League Baseball(MLB)で試してみたいという気持ちと同じです。MLBには国境がありません。世界各地から来た超一流playersがしのぎを削ります。外国選手を締め出すのならMajorをAmericanに変えて“ALB”に、その頂点を決めるWorld SeriesはAmerican Seriesに変更すべきです。MLBは世界中の人が見ていますから、“ALB”人気は半減するでしょう。殿堂入りした名選手の殆どが元を辿れば移民の子ですから。

(2017年4月2日記)

 

(*1) 2017年からThe Regeneron Science Talent Searchに名称を変更する。
(*2) New Yorkは州でNew York市はNew York Cityと言います。郵便の宛名などではNew York, New Yorkと書きます。州は広大な自然が広がりNew York Cityはほんの一部です。これも一種の多様性です。
(*3) New York市に隣接するNew Jersey州でもFrank Sinatraが育ったHoboken、New Jerseyなどに象徴されるイタリア人街やMilltown、New Jerseyなどに象徴されるアイルランド人街が点在します。ちなみに、a mill townはアメリカのあちこちに点在します。いわゆる大企業の工場を中心に発展した街のことですが、かつては繁栄の象徴でしたが現在は多くが廃れてしまいました。労働者は非アングロサクソン系白人移民とその子弟が占めていました。アメリカ各地に広がるmill townsを回ってみると、トランプ政権を誕生させたルーツを探れますし、「世界の工場」と化した現在のアジア諸国の将来を予測し対策がとれそうです。筆者は1990年代中頃にYale大学のあるNew Havenの変わりようにショックを受けたことを覚えています。今どうなっているのでしょうか。世界中から有能な人材を呼び込める産業が生まれれば別ですが、かつての産業の復古主義では無理でしょう。

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