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本シリーズでは、特色ある大学のトップの方々に、大局的な視点から大学の現状や英語教育、今後の指針などについてインタビューさせていただいた内容をご紹介しています。

今回は、個人を尊重する少人数教育、高度な英語教育を実践している津田塾大学の登場です。創立者・津田梅子先生の英語教育の精神は今日にも受け継がれ、現在もTECC(Tsuda English Coordination Center)を発足するなど、発展し続けています。

今回はその津田塾大学 飯野正子学長にお話を伺いました。

飯野 正子 先生

飯野 正子先生 プロフィール

1944年 大阪府生まれ。
シラキュース大学大学院歴史学科修士課程修了(MA)。
津田塾大学助教授・教授を経て、2004年11月より津田塾大学長。
その間、McGill大学客員助教授、Acadia大学客員教授、California大学Berkeley校客員教授などを歴任。文部科学省中央教育審議会委員、日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会評議員、日本カナダ学会役員、日本移民学会役員、日本アメリカ学会理事などを兼務。カナダ首相出版賞受賞・国際カナダ研究カナダ総督賞受賞。

主な著書:
『日系カナダ人の歴史』(東京大学出版会、1997年)(カナダ首相出版賞受賞)
『もう一つの日米関係史―紛争と協調のなかの日系アメリカ人』(有斐閣、2000年)

津田塾大学が大学教育でめざす英語力

本日は、津田塾大学の柱ともいえる英語教育について、そして、国際化についてお話を伺いたいと思っています。津田塾大学が大学教育でめざす英語力とはどんなものでしょうか。

しっかりとした基礎力を持つことが一番大事だと思います。文法はいらないけれど話せればいいとか、ただわかればいいという英語ではない、しっかりとした基礎、いわゆる、読み、書き、聞く、話す、その基本的な英語の力を、きちんと身につけることです。言葉というのは、基礎の部分で歯を食いしばって嫌でもやらなければいけないところがありますから、それを避けて通らないことが一番大事だと思います。そのために本学では少人数教育などいろいろ工夫をしています。ただし、それだけでコミュニケーションの力がついたとは言えない。やはり大事なのは、人を理解する力とか社会を見る力とか広い視野とか、そういう人間としての力ですね。それがないと、本当にコミュニケーションの力にはならないのではないかと思っています。そのためには英語を学ぶだけではなくて、英語が使われている国について知るとか、その文化を知るとか、それが伴うべきだし、それから、いわゆるリベラルアーツの教育であるバランスの取れた判断力、適応力が必要で、それを学生に身につけてもらうことを私たちは目指しています。

また、本学の建学の理念の中に、社会に役立つ人になる、というものがあります。たとえばボランティア活動も、社会に貢献できる力を発揮する1つの形です。そこで必要なのは、話すこと、自分の気持ちを伝えること、人の話を聞くことができるということです。しかし、それだけではなく、さらに、その国や社会について知る必要があり、そういうことができ、そういうことをする気持ちがあるということが重要ではないかと思います。

受験英語や、ゆとり教育など、そういったことに学生の中での変化を感じられたことがありますか。

もちろん。感じます。学生を見ても、私の娘を見ていても感じますし思います。通じればいい、わかればいい、話せればいい、度胸があればいい、そういう英語だけでは最終的には伸びないのではないかと。私は英語の専門ではありませんが、体験として感じていますし信じています。先ほども申し上げたように、どうしても覚えなければならない文法とか、文型とか、そういうものを飛び越して、避けて、ただ耳を鍛えて、ぽーんと海外に行けば英語が上手になるとか、そういう考え方の英語教育も、1つの道だとは思います。けれども、それだけでは得られない、大きな発展に向けての力は、やはり古典的な方法で英語の力を磨くという苦しい訓練の中で得られるのではないかなと思います。

大学の中での英語教育というのが、実学的な英語を教えるのか、またはアカデミックな英語を教えるのかというような議論も出てくると思います。私の恩師が言っていたのが、大学というものは、社会に出て教えないようなことを教える場所であると。この点についてはいかがでしょう。

そうですね。今すぐには必要ではないし、無駄かもしれないけれども、教えておかなければならないことはあります。創立者の津田梅子先生の言葉で私が好きなのは、大学にいる間に、考える力をつけることが大事だということです。自分で考える、自分で考えて行動する、自分で考えて勉強する、そういう力がつけば、大学を出てから、いつでも学べる。要するに学ぶ姿勢を身につけるのが大学であると。これは、2つのことを言っていると私は思います。基礎力が大事だから、嫌でも何でもちゃんとやらなければいけない、暗記しなければいけないこともある。それと同時に、広い視野を持った考える力のある人になることが、やはり英語を使う場合も大事だと。ゆとり教育は具体的に何が欠けているか、私はその分野ではないので、感じるだけですけれど、基礎の部分で必要なことがゆとり教育では不十分なのかも知れません。ですので、大学でどこから教えるかというときに、前にさかのぼって考えなければいけないでしょう。私たちのTECC(*) もその辺を考慮する必要があると考えています。

津田塾大学では、TOEFLテストITPを2007年から英文と国際関係1年生全員に実施していますが、導入の理由をお聞かせ願えませんか。

大学で私たちが、信念をもって教えるべき内容に近いことが、TOEFLテストという試験で測ることができる、という考えによるものだと思います。例えば、決してTOEICテストが不要だと思っているわけでもないし、資格というものが不要だと思っているわけではありませんが、津田塾大学として、本当に力が付いたかどうかTOEFLテストを使って確認したいということでしょう。

なるほど。どうもありがとうございます。ところでいろいろな学会に行くと津田塾大学出身という方はなぜか一見して分かりますね。

やはり津田梅子先生以来の伝統なのでしょう。頑張る人が多いですね。英語でもどこまで力を伸ばそうかと頑張っている人が多い。その時に大学側としてできることは、資格を取ろうとしている学生に、そこに何かを加えて学んでいってもらうことです。こちらが何を与えようとしているか、与えられるかどうかが大学の教育力ということだと思います。

プラスアルファの部分ですね。

そう、プラスアルファ。もちろん資格は得て欲しいと思いますけれど、資格だけで留まっていたら良くないと思います。学生を見ていて面白いのは、英語でも何でもものすごく一生懸命になって、あるところまで到達した人というのは、その先で違った方向の人生を選んでも、そこで乗り越えて生きていく力があることです。それが多いような気がします。それは何か1つを達成したら、そういう力になっていくのかもしれない。プラスアルファがある。

TECC:Tsuda English Coordination Centerの略。国内外の英語教育の動向を見据えながら、学科の特性により適した講義・演習を総合的にコーディネート。国際社会や学生のニーズの変化を速やかにカリキュラムに反映できる体制を整え、大学全体の英語教育の質の向上を図っている。

国際化とは

それでは次に、津田塾大学の考える国際化についてお伺いできますか。

国際化とは、海を隔てたところに行って活躍することと考えられがちです。それはもちろん、国際化であると思いますけど、そうではなくて、日本にいながらでも国際化ってあると思うんですね、自分が社会を見る目を養ったかどうかということです。日本のように多文化共生が実際に起きている社会にいて、それに自分がどういう風に関わるのかという意識を持つというのでしょうか、心を開いて、いろんなものを理解する姿勢、それが国際化だと私は思います。

国際的であるということは、国際的な舞台で活躍しなさいということだけを指すのではなくて、グローバルに、そして一方でローカルに、自分の周りに目を向けて活動するという考え方が大事です。自分の周りに地面に足のついた国際協力がいっぱいあるわけです。それが国際化だと私達は考えています。グローバルに、そしてローカルに。両方です。

英語で話せるようになり国際化というものを考えた、だから、海外に行きましょうとか、海外に行ったから国際的になりました、とか、そういうことではない。私のセミナーでも80パーセントの人が何らかの海外経験をしています。でも行かない人は国際性がないのかと言えば決してそうではないと思います。海外から来ている人と何か共同で事を成すということもあるでしょうし、人のためになるという時には、国内で人々に何か教えるということも有り得るし、自分が学ぶこともあるでしょう。学ぶ心を持つ、寛容である、違いに対して寛容で有り得るということも国際性です。

国際性というのは、自分の国を見ることでもあります。自分が自分の国を知らずして国際性とは言えないわけで。逆に海外に出て見たら日本が見えたり自分のことが見えてくるかも知れません。私も留学で向こうに行って、単純な質問されて、答えられなくて。日本のこと、こんなに知らなかったのかと。それで奮起します。それと、やはり、自分は日本人だと感じる。それも、国際性かも知れません。

津田塾大学の学生気質

ところでCIEEで企画している海外短期ボランティアプログラムに参加した津田塾大学の学生が、後輩の前で話す時「迷っているなら進みなさい。参加してから考えなさい。世界から自分の国を見ることは必要です。自分で自分を成長させるには1人で海外へ行くべきです」と伝えていました。また、そのプログラムでは、海外に行って、様々な国のメンバーが15人ぐらいで1つのワークをするのですが、人によっては最初に参加したときは自分の思いが伝えられなかったと言います。すると、悔しさを持って帰国する。それで、来年は自分の思いを伝えられるように、この1年は頑張ろうと力に変えるのが津田塾大学の学生には多いようです。こぶしを強く握るのではなく、軽く自然にこぶしを握って、成長するためにこうした方がいいと、後輩の将来にプラスになることを言う、そういう学生が多いように感じます。思うに、それは、津田塾大学の伝統としての精神でしょうか。

そうですね、自分がよかったと思うことは人にも伝えようという、こうするといいよと言ってあげる、それはものすごくよいことだと思います。前向きです。それがやはりいろんな意味で、社会をよくしていく力になります。それから、自分だけで努力してできないことも多くの人とやればできることとか、今回うまくいかなくても挫けるんじゃないよ、それを基盤にして、次で飛躍しよう、という訳です。自分はこういう失敗をしたから、あなたはしないようにって。それはすばらしいことです。

津田塾大学の学生は見ていて面白いですね。議論が決して嫌いではない。そんな気がします。

その議論が嫌いではないというのは、おそらく少人数教育とか、先生との対話とか、そういうことに重きが置かれている教育の力も、少しはあるのだと思います。学生は、必ず自分の意見を持ちなさいということを要求されるわけです。だから、セミナーでも何でも自分の意見を述べなければいけない。ただ、何も考えずにポンと意見が出てくるわけではないから、その前に考えなければいけない。その考えるためには、何か資料を読まなければいけない。だから、意見を発表するということ、自分の意見を持つためには、準備がなければならない、どうしたって勉強せざるを得ない。人前でちゃんと意見が言えなかったら恥ずかしいというような状況が大学の中に作られていることは、あると思います。

あなたはどう思うのかと必ず聞かれる。この辺りが、いい意味での伝統ですね。

使命感でしょうか。何かこう間違ったことはほっておけないという、先ほどの上級生が下級生に言うのと同じで、いい事はいいって言ってあげなきゃというのがあるのでしょう。面白いですね。津田塾大学のよいところだと思います。やはり、女子大というのは女性の協力者が得やすいと思います。それは一緒に勉強しましょうでもそうですし、海外へ1人で行くとは言うものの、やはりみなでこういうことを経験してみようとか、これがよかったから一緒にやってみようとか、という力になっていくのかも知れません。

また、私達よりも世代の上の人達というのは、やはり偉かったと思います。今みたいに社会にすんなり受け入れられるわけではないんですけど、でも社会のためになりたい、自分の達成感を味わいたいと思って海外に出ていったわけです。みなすごく頑張りましたが、その頑張りが自分のためだけではなくて、次の世代のことを考えてのものだったということです。自分が頑張らなかったら、もう自分の後ろでドアが閉められる。だから、自分がいい例にならなければというのがあったわけで、それはとても有難く思います。それで見ると、今の人達は、自分のことしか考えていないのではないかと、つい言いたくなりますね。次の世代のことを考えなさい。自分さえ通ればいいのではなくて、自分が通ったあとでドアが閉まるのは、やはり悲しいと思わなくてはと、思います。

学生の今と昔の違い

飯野先生が学んでおられた時と、今の学生と何か違うところがありますか。

根本は変わらないと思いますが、例えば英語に関しても、私達の時は、どうすればよいか分からないから、すごく迷って人に聞きまくって、苦しみました。あれを試して駄目だった、これを試して駄目だった、そして一生懸命、効率のいい道を選ぼうとはするんです。だけど、結局元に戻って初めからやり直す人が多かった。今の人は違います、多分。このボタンを押せばあそこに達する、先に分かる道がいっぱいあるんです、分かる術が。だから、先ずその術を学ぶんです。それをわざとしないで、やってみようという人、今、あまりいないと思いますよ。

迷うことに非常にネガティブなイメージを持っているんでしょうか。

そうですね。迷うのと、それから失敗するのが嫌なようです。だから、失敗しない道を選ぼうとするのではないかと思います。コンピュータのせいなのか、その前からなのか。学問に王道なしではないですけども、やってみないと分からないじゃない、というところが昔はありましたけど、今はないですね。分からないならやらない、ということかも知れません。

何でも早めに結果が求められる時代になってきた・・・

そう思います。だから、私達が学生の時、この授業嫌い、あの授業面白くないとか言ったと思うんです。だけど、20年経ってみたら、あの先生、授業で立派なことを言っておられた、と思うことってあるわけです。だから、そういうことを頭のどこかに入れておいて、私は学生にいつも言うんです。大変な時代錯誤と思われるでしょうけど。無駄は豊かさに繋がる、無駄だと思うことをやっても構わないと。

この研究のためにはどの資料を集めればいいというのではなくて、資料の箱を出してみて、この箱の資料を全部見たけど自分の研究には役に立たなかった。それから、次の箱に移るのでなければ。箱の外側だけ見てこの箱1つあれば論文1つ書けるという、そういう人が増えているそうです。英語の勉強も同じです。

ある意味、人生は楽になるのかも知れませんけれど、深みもなくなる気がします。

本当にそうです。先日、高校に招かれて話をした時に、無駄がいいのだということを言ったのです。いろんなことを自分でやってみて、自分に向いていないと思ったらやり直せばいい、そういう時間は十分あると言ったら、あとで「あれ聞いてホッとしました」というコメントが多かったのです。どこかで、何か後押ししているものがあるのですね。短い距離で行きなさい、ここまで行くのにどれだけかかるかまず数えなさい、計算しなさいとか、そういう言葉ではないでしょうけれど、そういう力が圧力としてある。だから、無駄が豊かさに繋がるんですよ、無駄だと思っても底辺を広げておけば、いい勉強ができるし、いい研究ができるなんて言うと、ホッとするのでしょう。

メッセージ

最後に、これから日本を担う若者達に何を期待されますか。

これからの若い人には、やはり失敗しても挫けないで自分で考えられる、自分で判断できる力を持ってほしいと期待します。外の基準にとらわれている、そして最短距離で目標に到達することを考えている人が増えてしまった社会は、多分、豊かさのない面白みのない社会なのではないでしょうか。多様な社会がいいとみな、口では言うものの、画一的になっているような気がします。1つの基準で無駄がないような最短距離を行くことばかり考えていたら、多様な社会の豊かさというものを実感できないと思います。それは、若い人たちだけと言うよりも、もっと小さい段階からの教育なのかも知れません。多様性・個性とか言いながら、画一的なものにしていくような力がどこかに働いているのかも知れない。ゆとり教育というのは私が言っている豊かさに繋がりそうなんでしょうけど、何かが足りなかったんです。

先程、基礎力が大事だと言いましたが、一時期入試がいけないと盛んに言われましたけれど、入試だって悪いものではなく、やっぱりある程度、詰め込んで覚えなければいけない知識があると思うんです。それを、今度どう生かしていくかというところが大事で、そこから先は個性だと思うんです。個性を伸ばすのは、基本ができて基礎力がついてからだって遅くはない、勿論、早くから個性が発揮できる人もいると思いますけれど。基礎力をつけていたら個性が失われるとか、個性が伸びないとか、そういうものではないのじゃないかなぁ。

一度学ぶ姿勢を身に付ければ、それから生涯学ぶことができるという津田梅子先生の言葉は大学以降のことを指していますが、それは初等教育にも言えるんじゃないかしら。

そして、私はやはり無駄だと思っても、広いことを、それがすぐ自分の将来の、自分の職業に役立たないかもしれないけれども、興味があったらやってみたらという風に、仕向けていきたいと思います。底辺が広ければ広いほど、人は豊かに人生を送れると思うんです。失敗を恐れないというのはすごく大事なことだと思います。失敗したらやり直せばいいのです。

本日は、有意義なお話をありがとうございました。

インタビュー:2009年12月7日 国際交流促進部 部長 掘越敏明

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