TOEFL メールマガジン

SELHi校の試行錯誤

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英語教育の先進事例となるような学校づくりを推進するために、英語教育を重点的に行う学校等を指定し、英語教育を重視したカリキュラムの開発、大学や中学校等との効果的な連携方法等についての実践研究を実施する(文部科学省ホームページより)「スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール」事業が、平成21年3月31日をもって終了しました。平成14年度の開始以来SELHiという名称で親しまれ、指定校は7年間で延べ166件169校でした。最後の指定となった平成19年度開始の学校は、今年3年目を迎えますが、新たな事業である英語教育改革総合プランの「英語教育改善のための調査研究」に引き継がれています。

当メルマガでは、第一期指定校が3年間の挑戦を終了した平成17年から滋賀県立米原高等学校でリーダーシップをとった山岡憲史先生(現立命館大学教授)からのご寄稿をかわきりにシリーズ化してまいりました。誠に残念ではありますが、事業の終了にともない、このシリーズを終了させていただきます。3年間ご愛読いただき誠にありがとうございました。SELHiシリーズは、バックナンバーで今後もアクセス可能です。ご興味のある方々にご紹介いただけましたら幸いです。(リンク先です http://www.cieej.or.jp/toefl/mailmagazine/archives/educators-02.html

また、ご多忙にもかかわらず、本シリーズのために執筆をご快諾いただきました31名の教員の皆様に、この場をおかりし改めて深く感謝申し上げます。

さて、最終回として、SELHi企画評価会議協力者のお1人で、精力的に指定校を訪問された白百合女子大学准教授倉住 修先生にご寄稿いただきました。協力者の中でも「辛口」として恐れられていた倉住先生ですが、英語担当教員の方々に対する熱い心情を語っていただきます。

SELHi story ~3年間の奮闘の記録

白百合女子大学 准教授 倉住 修

倉住 修(くらずみ おさむ)先生 倉住 修(くらずみ おさむ)先生プロフィール
1965年生まれ
アメリカ・Monterey Institute of International Studies英語教育学修士課程を修了
専門はTESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages)および言語学
また、第二言語習得の分野ではクラスルームリサーチや言語習得に影響を与える学習者要因についても研究を行っている
SELHi企画評価会議協力者をH15から終了するH21まで務める

1.はじめに

SELHiもついに終わりを迎えた。平成 14年度から始まり第6期校を最後のSELHi指定として、制度的には 7年間、実質的には8年間続いた(8年目は現在も継続中の)研究開発事業だった。この間に多くの高校の先生を困惑させ、たくさんの英語科を険悪な雰囲気にさせたことと思う。また、殺人的な報告書に追われて日々の授業に支障をきたすこともあったかもしれない。今はただ「先生方、本当にお疲れ様でした。」としか言えない。

しかし、SELHiは単に先生を疲弊させただけの事業だったのだろうか。現在文部科学省でSELHiの成果をとりまとめている最中であり、特に教員へのアンケートの結果などは今年度の半ばぐらいにはホームページ等を通じて何らかの報告があることと思う。詳しい内容はその発表を待つこととして、ここでは私自身が実地調査などを通じ現場を回って感じたことを中心に SELHiの成果について考えていきたい。もちろん、アンケートの中間報告と矛盾しない範囲での話だ。

2.やって良かったSELHi

各校のSELHi研究主任の先生の大半から寄せられた回答のひとつに「SELHiをやって良かった。」がある。9割をはるかに越える指定校が「やって良かった」と感じているのだ。もちろん、何が良かったのかは学校によって異なるだろうが、苦しかった3年を振り返って様々な面で達成感を感じている様子がわかる。

先生方にインタビューを取ると教員の質向上も含めた教育環境の充実ぶりについてのコメントが非常に多く寄せられている。それらを大別すると、

  • 授業の指導法が変わった。
  • 教員同士が話し合い、協調体制ができあがった。
  • 教材開発やシラバスの作成をするようになった。
  • 他校の公開授業や教員研修に参加するようになった。

ということになるだろう。これらは、理想を言えば、教員の指導力向上のために当たり前に行われているべきことだとは思う。が、現実にはこれらが行われていないことの方が当たり前になっている。自分の指導力を向上させるために他の教員の意見を聞いたり、(上司から一方的に指導を受けるのではなく)お互いに学び合うことが有益なのは誰だってわかっている。なのに、実際はひたすら自分の経験を積み重ねていくだけで、他から学ぶ仕組みにはなっていない。学校という場は、生徒に共同の学びの場を提供できる絶好の場であるにもかかわらず、教員はと言えば、一人ひとりがばらばらに自分のやり方でやっているばかりでなんだか個人事業主が集まっている場所のようだ。そういう内にこもりがちな教員の姿勢を打破するためにも他校を訪問したり研修に参加したりするのは有意義だったようだ。特に私立高校の先生方はそういう機会を持てたことによって授業や生徒の意識に変化が起こったとより強く感じているようだ。また、SELHi校の間で学校訪問が行われる場合には、同じ苦労をしている学校からの訪問者に対して寛大でとてもオープンに授業の様子を見せてくださる学校が多いことを度々耳にした。離れた県の公立校の先生と私立校の先生がいつの間にか飲み友達になっていたり、 SELHiがもたらしてくれた地域・校種を越えた結びつきというのは何にも勝る宝になるのではないかと感じる。

3.教員が変われば生徒も変わる?

前節で挙げた教員の変化の内、生徒の学習態度や意欲に最も関連が強かったのが「教員の指導法が変わった」であった。特に教員が英語で授業を教えるようになったり、指導法のレパートリーが増えたりすると、生徒の意欲的な英語使用を刺激したり、グループワークに積極的に取り組むようになったりすることにつながるようだ。おそらく、SELHiの授業では、先生が前に立って生徒を順に指名して答えさせるだけの授業形態ではなく、さまざまな活動やタスクを一時間の内に盛り込んでいると思う。また、英文解釈や文法解説だけでなく、4つのスキルを統合的に使わせる授業を取り入れたおかげで一つひとつの活動に多くのバリエーションが生まれたことだろう。そうした工夫が生徒の意欲を刺激したのだと多くの教員は実感しているのである。

しかしながら、全般的に見れば教員の指導法や指導体制が変わっても、それがすぐに生徒の学習意欲や態度の変化に表れるわけではない。ましてや、生徒の英語能力の向上に直結はしない。教員へのリサーチの結果を見ると、教員が変われば、やがてそれが生徒の意欲に変化を与えるようになると考えられる。そして、生徒の意欲があがっていけば、やがてそれが英語能力の向上につながっていくであろう。そんな流れが見えてきたのである。しかし、それは非常に緩やかな変化であって、急激に起こることは期待できないようである。時間をかけて地道に変えていくしかないのだろう。たとえば神戸市立葺合高等学校の竹下先生が class community ※という言葉で表現していらっしゃるように、生徒が積極的に発言でき、かつお互いに相手を助け尊重する場を作ることなしに有意味な英語のやり取りは生まれないだろう。そういう場作りを教員が中心になって整備していかないと生徒の意欲にはつながらない。逆に言えば、その環境作りを地道にしていけば必ず生徒はそれに応えてくれるということだ。それが実際に起こった事例を探すなら、これまでの TOEFLマガジンを見ていただければいくらでも出てくることがわかるだろう。

竹下厚志先生【TOEFLメールマガジン 第73号】から

4.生徒の英語能力はどうなった?

SELHiの研究課題で一番多かったのは、4技能の向上のための指導法確立である。その研究課題の達成度について指定校の大半が達成できたと感じている。そしてそういった学校では、生徒の英語の4技能も向上していると考えている傾向がある。したがって、 SELHiの大半が生徒の4技能の向上があったと感じているのである。さらに、SELHiは受験についても有益だったという考えが圧倒的に強かった。特に公立高校の間にSELHiは受験にも有益だったという意見が強い。これが何を意味するかはもう少し調査が必要だとは思うが、一つの解釈としてはテスト形式の多様化が考えられる。センター入試にはリスニングが導入され年々難易度も上がってきている。会話文の問題もある。英文解釈はどんどん内容中心になってきている。これらをクリアしていくためには、出される問題に対する対策だけではダメで、結局はベースとなる英語能力そのものが育っていなければ対応ができのではないだろうか。もちろん、これは一つの解釈なので、 SELHi校の先生方で違った実感を持った人がいるならばぜひ教えていただきたいと思う。

生徒が4技能を別々の授業で練習するのではなく、一つの授業の中で複数の技能を使って練習をするというのもSELHiの特徴だろう。たとえば、最初の活動でリーディングを通じて教科書の内容を理解したら、その題材を使って今度はスピーキングへ、さらにディベートやライティングに発展させるといった形の授業を行っているのである。ここには、同じトピックや言語材料を使い(しばしば「リサイクル」と呼ばれる手法)、一連の活動の中で様々な技能が練習できる工夫がされている。もちろん英語ⅠやⅡの教科書の狙いは本来そういった統合型なのだが、SELHiではこれをきちんと手順を踏んで徹底的に練習するのである。もう一つのメリットは次のタスクを用意することで、今取り組んでいるタスクをきちんとものにするという意識を強く持たせられることだ。

こういう連続性のある技能の練習は新指導要領が向かっていく「統合型」の授業を成功させるために非常に良いモデルとなるだろう。また、これは TOEFL®テストのスピーキングのテスト形式そのものであって、それはすなわち留学先で勉強していく際に複数の技能を同時に使わなければならないことを示している。スピーキングセクションではまず文章を読み、それについての講義を聴き、それに対して意見などを述べていくという形式になっている。純粋に話すだけのテストではないのだ(それについて問題がないわけではない)。テストの作成から実施、採点までTOEFLに匹敵するほど緻密に行われているテストは存在しないと言っても過言ではなく、これまでもTOEFLが常に先頭に立って言語テストの進むべき方向を示してきた。そのTOEFLが、実際の言語使用に則した「技能統合型」テストの必要性を認め、いち早く導入しているのである。TOEFLの改革が教えてくれるのは、実際の言語使用に則した技能の習得が必要だということだ。実際のコミュニケーションの場面では複数の技能を使ってやり取りをしているのに、単独のスキルを切り売りするような授業だけではたして対応していけるのかだろうか。そんな風に考えてみることも必要なのだろう。

受験英語とSELHiの関わりで言うなら、SELHiは訳読との闘いでもあった。教員の中には「きちんと英語が読めるようになるためには訳読させることが必要だ」という意見を持っている者が未だに多いということだろう。しかし、この考えは事実を反映していないことに気づくべきである。 TOEFL iBTの結果を見てほしいのだ。日本の総合スコアがアジアで最下位であることは広く知られるようになったが、実はその中で特にスコアが低いセクションがリーディングなのである。日本と同等レベルなのはアフガニスタンやモンゴルぐらいのものだ※。つまり日本人は、読解がとてつもなくできないのである。

「きちんと読めるように訳読」を繰り返してきたはずなのに、結果は読めない生徒を大量に生み出しているのだ。この事実を日本の英語教員は真摯に受け止める必要がある。訳読そのものが悪かどうかを議論したいとは思わない。しかし、少なくとも、読解ができるようになるためには訳読が十分条件でないことは言えるだろう。では、そこに何が必要なのか。それを大いに実験してきたのがまさに SELHiである。指導法のレパートリーを増やし、同時に複数の技能を使って授業をしてきた SELHiだからこそ建設的な提案ができると思うのだ。

※TOEFL®Test and Score Data Summary for TOEFL Internet-Based Test: September 2005-December 2006 Test Data

5.さらなる授業の発展のために

上記の通り、SELHiを経験した先生は研究課題を達成できたという実感を持っている。しかし、よりよい授業のためにクリアしなければならない課題はまだまだ残っている。というより、 SELHiによって授業改善ができたが故にこれまで見えていなかった問題が浮き彫りになってきたという言い方の方が事実に近いだろう。

私個人はSELHiを終わってみて、今こそ教員研修が必要だと感じている。具体的な授業テクニックもそうだが、それ以上にカリキュラムの企画力、評価法について体系的な知識が必要だと思う。せっかくやったことが正しく測定されていなかったり、評価されていなかったりするのはとてももったいないことだと思うのだ。またそういう知識を持たないままでいると、生徒のがんばりに対して的外れな評価をして不当な扱いをする場合もあると危機感を持っていただきたい。

一つ例を示そう。あるSELHi校で研究課題に沿わない授業展開をする英語の先生がいたのだが、英語の能力テストでその先生が担当しているクラスだけ平均点が高かったということが起こった。 SELHiの研究主任は落胆し、自分たちのやってきたことを否定された気持ちになったようだった。しかし、そのテストのスコアを統計的に検定をかけて処理してみると、問題になっているクラスのスコアが他より高いのはライティングセクションだけだったことがわかった。さらに細かくデータを見ていくとその非協力的な先生の指導法が特定の生徒のライティングの能力を短期的に鍛えたに過ぎないこともわかってきた。逆に言えばその先生から学ぶべき点も特定されたのである。

このように出てきた数字に一喜一憂しないためにもデータ処理や評価方法についてもっともっと研修を積んでいく必要がある。 SELHiの報告書の中にもアンケートの処理に疑問が残るものが多い。これについては、私は連絡協議会や実地調査で強調してきたが、先生方にはこれが重大であるという認識がまだ甘いと思っている。批判しているのではない。あれほどまでにがんばってきた先生方の SELHiがデータの処理や提示の仕方のせいで軽んじられることに我慢がならないのだ。

6.私のSELHi

私にとっても SELHiは一生の宝となるであろう。 SELHiに関わるようになったのは始まって 2年目の時であり、計6年間すべての SELHi行事に参加してきた。毎年秋になると実地調査のために授業の合間を縫って指定校を巡っていくのは結構つらかった。一人で10校の実地調査を行った年もあった。実地調査以外でも研修をさせてもらったり、公開授業に出かけたり(行くとなぜか指導講評することを求められた)で、その度に多くの現場の先生とお話ができた。教室を研究の対象とするものにとって生きた現場を直に見ることほど貴重な体験はない。快く見せていただいたすべての高校、先生方に感謝の気持ちでいっぱいだ。

私は、協力者の中でも辛口と言われることがある。確かに連絡協議会では特に厳しかったと思うし、実地調査でも「こんなレベルでシャンシャンではすまさないよ」と言ったこともある。しかし、それはすべて先生方ならできるはずという絶対的な確信があったからこその発言である。日本の英語教員の力は非常に高い。そのことを先生方が見事に示してくださった、それが SELHiだったのだと思っている。

6年の間、立場上「上から目線」でものを言わなければならないことに違和感があった。日頃から、教員同士がお互いの授業を観察しあったり、授業の進め方を話し合ったりという協同的な能力開発(professional development)を薦めている自分としては、「指導者」の立場はつらいものだった。それもやっと終わり、これからは先生方と同じ一人の英語教員として話ができるようになるといいな、今は心からそう思っている。

終わってみて改めて「 SELHiとは何だったのだろう。」と考えてみると、それは、一つひとつの指定校の三年間の物語のようなものに思えてくる。それぞれの高校にその学校ならではの苦労がある。不安に陥りながらも多くの困難に立ち向かっていった先生方の記録、それがSELHiなのかもしれない。なんだかんだでSELHiの初期から関わることが出来た自分に出来ること、あるいはなすべきことは、この物語を多くの人に伝えていくことだと思っている。

出会えたすべての先生に言いたい。「あなた方は私の目指すべきスーパーティーチャーそのものでした。」と。

(追記) 倉住先生が、読者の方から本記事に対するご意見をお聞かせいただくことを希望しております。 ご意見などこちらのメール先へお願いたします。 Email

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