ホーム > TOEFL®メールマガジン > 第63号 > For Lifelong English
今号目次
『じゃれマガ』の魅力
達セミに学べ
SELHi校の試行錯誤
HASSHIN!耳より情報
ETS訪問記
TOEFL iBT全国津々浦々
公式サイト お宝発掘隊
For Lifelong English

登録の手続き(無料)
登録アドレス変更の手続き
配信停止の手続き



生涯学習としての英語 For Lifelong English

様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかかわって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違います。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいもの、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。
[For Lifelong English|生涯学習としての英語]バックナンバーはこちら>>

第6回
プロのオーケストラ打楽器奏者に聞く! その3
〜マレーシアで活躍するプロのパーカッショニストに聞く 音楽、多言語文化、英語のつながり〜

鈴木 佑治
慶應義塾大学環境情報学部教授  兼 
同大学大学院 政策・メディア研究科委員


今回のインタビュー

菊池清見さん

マレーシアフィルハーモニー管弦楽団 Malaysian Philharmonic Orchestra(MPO) assistant principal timpani/percussion 副首席ティンパニ・打楽器 
現在首席打楽器代理

 前号より、マレーシアで唯一のプロのオーケストラ、マレーシアフィルハーモニー管弦楽団 Malaysian Philharmonic Orchestraで打楽器奏者であり主席代理としてもご活躍されている菊池清見さんのインタビューをお届けしています。
 高校時代に交換留学生として米国に留学したのがきっかけで、フロリダ州立大学の音楽科に進学し、その後かの有名な名門ジュリアード音楽学院の大学院に進学し修士号をとるやプロとして活躍されています。その前向きなエネルギー溢れる人生に、英語はどのように関わっていたのでしょうか。音楽の才能を見い出され、英語を身につけ、そして多言語・多文化の環境を実に楽しんでいらっしゃる菊池さんのこれまでの経歴の中に、英語が上達するカギも隠されているような気がしてきました。

第三回目は、フロリダ州立大学での学生生活やニューヨークのジュリアード音楽学院での生活について、たっぷりお話を伺いました。
★☆★ ”その1”を読む ★☆★    ★☆★ ”その2”を読む ★☆★

必死で勉強したフロリダ州立大学時代
鈴木 フロリダ州立大学って、いろいろキャンパスがありますよね?

菊池

そうですね。音楽学部はTallahasseeにあるメインキャンパスにあるので、私もTallahasseeに引っ越しました。
鈴木 大学の授業も大変だったでしょう。
菊池 はい、GPAを3.5以上にキープしないと、スカラシップ(奨学金)を外されてしまうのです。だから、音楽以外のところで苦労しました。
鈴木 GPA3.5というと、Bアベレージか。結構大変ですね。州立大学はおおむね点数のつけ方が厳しいから。
菊池 授業料が高いので、スカラシップがなかったら当時でも年間1万ドルぐらいかかることになったと思います。ですから必死で勉強しました。日常生活では、授業料以外の本代や寮費のために、キャンパス内でアルバイトをしました。楽器庫の楽器貸し出し係やオーケストラが始まる前の椅子を並べる係のオーケストラマネージャーなど、いろいろ経験しました。
鈴木 そういうことをすると英語の力がつくでしょう。
菊池 そうなんです。たとえば「楽器を返せ」などと電話で交渉したりするときは、強く言わないとだめでしたし。母がその頃の私を、「すごく強くなっちゃった」と言ったことがあるんです。そうしたら打楽器の先生は"She is not strong enough."って(笑)。
鈴木 それは面白い。まさに日米の感覚の違いですね。その頃の一日はさぞ忙しかったでしょう?
菊池 授業に走って行って、ご飯を食べて、個人練習を2時間やって、また授業行って、今度はウィンドアンサンブルのリハーサルに行って、寮に戻ってディナーを食べて、そのあと、また練習に行って、11時ぐらいに帰っていました。練習は一日に4、5時間していました。今思うと、どうやって時間をやり繰りしていたのかな(笑)。
鈴木 1年生、2年生の時はどんな授業を取りましたか?
菊池 ギリシャ神話の先生がすごく好きでしたので印象に残っています。その他ワールド・ヒストリーやサイコロジーなど、卒業するための単位はすべて取得しました。
鈴木 アメリカの大学の一般教養は日本とは違って、例えばソシオロジーだったら、ソシオロジーを専攻する人向けの導入コースで、単なる教養ではないのです。著名な学者、スタープレーヤーが講師になっているし。だから1、2年生の授業が難しい。州立大学ではどんどん落とされます。音楽学部だから音楽だけやっていればよいわけではなく、まず教養を持つように教育される。これが後に役に立つ。例えば、ワールド・ヒストリーを学ぶことでベートーヴェンが生きた時代のバックグランドが分かるんですよね。
菊池 はい、役に立ちました。勉強の仕方とか、目標に向かって努力する姿勢ができました。具体的には、文章の書き方なども勉強できましたし。3、4年生になると、音楽ヒストリー、音楽セオリーなどの授業を取ります。西洋音楽だけじゃなくて、ethnomusicologyという、ちょっと人類学も含めようという勉強もしました。音楽のほうはさらに練習時間を増やし、毎週の個人レッスンや、3、4年生で課されるソロリサイタルに向けて、備えました。音楽の場合は、学校というより先生を選ぶのです。幸いにもすばらしい先生に巡り会ってご指導いただきました。
鈴木 アメリカの大学は必ずしも4年で卒業ではないですよね。サマースクールを取ったり、途中1年間働いて、5年、6年かかる人もいる。菊池さんは?
菊池 一夏だけサマーコースをやって、4年で卒業しました。
鈴木 それは優秀だ。それからジュリアードに?
菊池 はい。ジュリアードの大学院に進みました。
鈴木 ジュリアードってどういう試験があったのですか?
菊池 基本的にフロリダ州立大学の試験と同じです。曲をいろいろ準備して、4人ぐらいの先生の前でのオーディションです。高校生のときからニューヨークへの憧れがあったので、ジュリアードとマンハッタン音楽院の2校しか受けませんでした。ジュリアードの試験の後、落ちたと思ってすごくがっかりして、「これでニューヨークも最後だ」といっぱい買物をして(笑)。帰ってきて1ヵ月後に合格通知が来ました。

タングルウッド音楽祭にて

音楽に没頭したニューヨーク2年間
鈴木 ジュリアードはどうでしたか?

菊池

州立大学とは全然違いました。まずキャンパスがありません。赤いじゅうたんが敷いてある、プロの音楽家になるためのトレーニングをする場所といった感じで、とても競争の激しいところでした。だからこそ行ってよかったのですが、2年終わった時は、正直ほっとした気持ちもありました。
鈴木 勉強はどんな具合に行われたのですか。
菊池
【写真:ジュリアード音楽院卒業リサイタルの準備中】
練習室の取り合いから始まります。打楽器の学生は13、4人いるのに対し、部屋が4つしかありませんでしたので、日曜日の8時にサインアップシートが部屋に張られ、みんな走って部屋の予約に行くのです。一日2時間しか同じ部屋を使ってはいけないことになっていたので、予約に合わせて練習に行って、その合間に授業を受けていました。
 ジュリアードのチケットオフィスでバイトもしていました。夜になるとカーネギーホールかニューヨークフィルのコンサートホールのどちらかに行きます。もちろんチケットを買うお金はありません。入口で休憩時間になるのを待って、途中退席の人をつかまえて「ジュリアードの学生なんですけど、後半聴きたいのでチケットの半券ください」って頼み込んで、ほとんど毎日のように行って聴きました。コンサートを聴くのが、ニューヨークでの一番いい勉強になりました。
 私の先生はRoland Kohloff先生で、ニューヨークフィルの団員でした。Kohloff先生は、私のフロリダ州立大学時代のGary Werdesheim先生の、大先生だったのです。すごく優しくておもしろい先生で、歌いながら教えてくださいました。ワーグナーのジークフリートで「ここはジークフリートが死ぬところなんだ! Siegfried is dead!」などと替え歌を歌って指導される。だから、「そうか、ジークフリートが死ぬところなんだ」って、しっかり頭に刻まれています。残念ながら昨年2月にお亡くなりになりましたが、今でも教えていただいた曲を演奏するたびに思い出します。
鈴木 充実した7年間のアメリカ生活の中でも、この2年間は特別でしたか?
菊池 はい。あの2年間ほど練習したことはないというくらい練習しました。楽しむのは本当にコンサートだけ。音楽に没頭していましたね。もうちょっとお金があったら、もっと楽しめたと思いますが、貧乏学生生活でしたので。
鈴木 ジュリアードの後はどうされたのですか?
菊池

友人が「セントルイスで打楽器の先生を募集しているよ」と教えてくれたので、面接を受け、セントルイスに引っ越しました。セントルイスの交響楽団がコミュニティーミュージックスクールという学校を持っていて、そこで教えました。そこは、試験とか年齢制限もなく、誰でも行ける学校で、生徒はさまざま。一番練習してくれる人は55歳ぐらいのおじさんでした。2年ほどいて、その間、セントルイス交響楽団で演奏したり、車で2時間ぐらいのところにあるイリノイシンフォニーに叩きに行ったりする機会に恵まれました。ですが、このままアメリカにいたらアメリカ人になってしまうと思ったので、一度日本に戻りました。
 日本では新日本フィルや東京交響楽団など単発で演奏の機会に恵まれたのですが、1年近く経つとやはりオーケストラに自分のポジションが欲しいと思うようになり、また多くのオーディションを受け、そのなかのマレーシアシンフォニーのオーディションに受かり、今の職に就きました。

鈴木 日本では音楽の仕事で食べていくのは難しいんですね。
菊池 そうですね。英会話学校で教えたり、本屋さんでバイトしたりもしました。そのお金は練習スタジオを借りるのに消えました。日本の音楽の世界に少し難しさを感じたのも事実です。私は日本語を話し、日本人の顔をしているのだから日本人的な行動をするはず、という周囲のexpectationを感じるのですが、16歳のときに日本を出ているので、上下関係もよくわからなかったし、「日本って実力主義じゃない」と悔しがったりしました。しかしこのときの日本での1年はムダではありませんでした。やはり「海外でやろう」と吹っ切れましたから。

鈴木の一口コメント
フロリダ州立大学の音楽学部を4年で卒業し、その後すぐジュリアードの大学院に進み、2年間で修士課程を終えたようですが、これは大変なことですね。ただでさえ留学生にとって様々なハンディキャップがあるのに、学費と生活費を自分で工面しながら、しかも理論と実技をしっかり付けなくてはいけない。また、どこでも練習ができるわけではなく、レッスン代も半端ではない。でも菊池さんにとっては苦しくもとても楽しい思い出の詰まった体験であったようです。話しながら顔が輝いていましたから。この頃の若者はなどという批判をよく耳にしますが、菊池さんのこれまでの人生にはそんな批判は当てはまりません。英語は言うに及ばずどこでもプロとして生きていく術を身に付けています。

© CIEE, 2007 All Rights Reserved.