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国際基督教大学の鈴木 典比古学長

本シリーズでは、特色ある大学のトップの方々に大局的な視点から大学の運営・指導方針、授業の改善などについてインタビューさせていただいた内容をご紹介しています。
今回は、固い信念のもとリベラル・アーツ教育を推進されている国際基督教大学の鈴木 典比古学長にお話を伺いました。大学の細部にまで行き届いたリベラル・アーツ教育と、鈴木学長の力強いお言葉に感銘を受けました。

鈴木 典比古 氏
国際基督教大学の鈴木 典比古学長
1945年
栃木県に生まれる
1967年
一橋大学経済学部卒業
同大学大学院経済学修士
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インディアナ大学経営学博士(DBA)
ワシントン州立大学助教授、準教授
イリノイ大学助教授等を経て、
  現在、国際基督教大学国際関係学科教授
同大学学長
私立大学連盟常務理事
大学基準協会加盟判定委員会副委員長

今日、少子化社会・国立大学法人化等の流れの中で、大学が生き残っていくために様々な大学改革が行なわれています。実学主義も叫ばれている中で、ICUの推進するリベラル・アーツ教育についてお聞かせ下さい。
  国際基督教大学の鈴木 典比古学長リベラル・アーツとは自分をLiberalizeすること、つまり世の中を束縛している考え方や制度から自らを解放するための学術です。そのためには現在の技術主導的な考え方、効率主導的な考え方が主導になって動いている社会に対して、これを無視したり拒否することなく、そこからいったん自分を自由にして、自由な立場から客観的・批判的にものをみる、Critical thinkingが不可欠です。その考え方が会得できれば、どのような分野においてもそこに内在しながらもそれを変えていくのは可能なはずです。
ですから専門課程とリベラル・アーツとは構造上の違いがあります。
前者は今の世の中で役立つ特定の科目の知識を深めますが、後者は現状を理解した上で、それを変えるにはどうすればいいのかという考え方を会得することを目的とします。
学部ではリベラル・アーツ以外にないというのが私の固い信念です。大学院で専門課程をやるのなら、学部で専門課程があるのは屋上屋を重ねることでおかしいと思います。学生はこのことに気付かなければなりません。日本の教育改革というなら、学部は全てリベラル・アーツになるべきではないでしょうか。

また、リベラル・アーツの中には自然科学も含まれます。従ってそのプログラムをしっかり持っていることが大切です。今、文理融合と言われていますが、ICUは50年前から文理融合を行ってきました。たとえば人文科学科の学生も数学や物理を勉強できるし、数学専攻の学生も歴史や経済を学んでいます。このようにリベラル・アーツにおける自然科学は狭いものではなく、基礎力をしっかりつけた後に広い展望を与えることが可能になります。

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そのリベラル・アーツを掲げているICUが目指すものは何ですか?
From Teaching to Learning
  米国にAACU(The American Association of Colleges and Universities) と呼ばれる大学協会団体がありますが、先日21世紀の米国の大学教育の在り方について基本的なレポートを出しました。ここでも最初から最後までliberal educationの必要性が書かれています。これはまさしくICUが目指している教育そのものです。この報告書の基本原則は、"Teaching から Learningへ"という重要な視点です。Teachingとはクラスの主体は先生で生徒は聞いているだけの、現在日本で多く見られる教育です。それに対しLearningとは学生が自ら主体になり、必要な情報を見つけてそれを評価し、自分で知識化する勉強です。TeachingからLearningとは、教室における主体と客体が逆転することです。Teachingでは学生は自分をLiberalizeすることはできません。主体的Learningこそがそれを可能にします。本学の改革もそこに基本を置いています。

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カリキュラム
  リベラル・アーツは自分探しと同時に、様々な分野の勉強をして自分を練り上げていくためのカリキュラムです。最低取得単位数はありますが、その後は自主性に任せます。専門学部なら、専攻によって4年後の将来像がある程度予測できますが、リベラル・アーツ教育では、根底に学生は主体性と批判的な精神を確立しているということは言えても、その上での将来像は柔軟で自由です。そこで先生によるアドバイジングシステムが重要になってきます。教員と学生がカリキュラムを共に作りあげていく。そこではあくまでも学生が主体ですから、先生は学生の自主性を尊重しながら対話をします。

今まではリベラル・アーツを目標に、大学の中で議論と実験を重ねてきました。もちろん全て理想通りにいっているわけではありません。
しかし何事も目標に向かうプロセスが重要なのです。リベラル・アーツ教育の達成は容易ではありません。例えばフロムの著書『自由からの逃走』の中で、人間は自由を与えられるとそれが重荷になり、自由から抜け出したくなると言っています。それと同じく我々もまた、自由にとらわれ、束縛され、逃避したくなる矛盾を持っているわけです。しかしそれでも自由になるための考え方の構造、仕組みを学んでおくことが必要なのです。リベラル・アーツを学ぶことは強い意志を必要とします。

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リベラル・アーツの特徴的なクラス運営についてお聞かせ下さい。
  国際基督教大学の鈴木 典比古学長リベラル・アーツ教育の考えは広く、教室の在り方や設計にも及びます。学生と目線を合わせて真剣に意見交換をするには、たとえばパワーポイントなどを使った1対大勢の形式では難しく、おのずと少人数クラスになります。現在、先生1人に学生が19人ですが、これでも多いですね。
ICUの教室では先生と学生が自由に対話ができるように、椅子や机は固定されていません。椅子と書き物机が一緒になった持ち運び自由のタブレット式のものを使っています。雑然としている印象ですが、移動が自由でどこにいても椅子を寄せ集めればクラスが作れるのです。
クラスは何も建物の中だけではありません。皆が集まったところがクラスであるとの認識から、よく青空の下でも行っています。
少人数教育のせいか、うちの学生は先生を先生と思わないようです。私なんかあだ名がノリピーですよ(笑)。それだけ声をかけやすい環境に先生がいるということかもしれません。最近、高知の高校生達が大学見学に来たときにも、案内をしていたICUの学生に「みなさん、あの方は本物の学長ですよ」なんて言われてしまいました。やはりこういうのもクラスにおける先生と学生の関係の表れですね。

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実際のクラスの様子はどうですか?
 

クラスの中では学生も先生も絶えず対話と議論をくり返しています。Teachingではないので先生が教えるという姿勢ではありません。学生は「君はどう思う?」と聞かれて、黙ってもじもじしていたのでは対話が進まず、クラスが進まない。進めるためには何か発言をしなければならず、何か言うべきものを持っていなければならない。そのための予習も必要となります。このように「発言せざるを得ない状況を作る」ことがリベラル・アーツにおけるクラス運営の非常に大切な方針です。クラスの中に隠れる場所はないのです。
それが昂じてくると、学生は先生の上を行こうとして、事前に自分で調べてきた内容をもとに授業で先生に質問をしたり異議を唱えるようになります。こうなるとクラスのレベルも上がり、先生も負けていられない。これが対話による双方向の授業であり、TeachingではなくLearning、しかも学生と教員が共にLearningすることになるのです。

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ICUの学生はとても活発で外発的なのですね。
 

必ずしも問題がないわけではありません。クラスで隠れ場所がないため、どんどん自分を出していかなければならない。しかしそういうのが苦手な人もいます。私はそのほうがむしろ正常だと思います。日本人は特にそのような環境に慣れていないですから。逆に、相手の言うことを聞かずに自己主張だけする事も、リベラル・アーツの教育ではあり得ないことです。
学生が積極的に考え方と生き方の基礎を学び、自己表現を会得するには、バランスのとれたリベラル・アーツ教育が必要です。そのためには心理的カウンセリングの支援体制も必要です。実際にカウンセリングが必要な学生も増えています。これはICUだけではなく、おそらく今の世代に共通する内面的な問題でしょう。この点は十分に考えるべきです。

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国際化についてご意見をお聞かせ下さい。
 

リベラル・アーツのクラスの中ではみんなが主体的な「個」です。「個」というのは最小の単位であり、いつでもマイノリティなのです。その集まりでクラスをつくるわけですから、どのようなバックグラウンドを持った人でも、個(1人)対多勢でディスカッションをして、自分を発信していかなければいけない。また、双方向の会話をするために相手の個も認めなければなりません。自分の主体性と相手に対する思いやりはペアになっているべきです。国際化とは、このように全ての人がどこの国の出身であろうと、個として、マイノリティとして相手を認めながら対話をしていくことなのだと考えます。

ICUでは留学生も日本人も一緒にクラスを取っていますから、英語で行われるクラスでは日本人が留学生にディスカッションでやられっぱなしということもありますが、そこで個を鍛えるのです。学生がICUに入学して、この環境に飛び込み、個として向こう岸まで泳ぎきることが大きな目標であり、これこそが国際化の出発点なのです。私はいつも、クラスでかける恥はかくだけかいて、すっきりしろと言っています。それで自分を脱皮していかなければいけない。度胸がついて泳ぎきったあとは、対岸に上がって自分の道を進む力がついているはずです。ICUの卒業生が海外に行って活躍している数が多い理由はここにあるのだと思います。それをやらなければ日本人は真の国際化はできないのではないでしょうか。

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留学生も日本人も一緒のクラスだそうですが、授業は全て英語で行なうのですか?
 

いいえ、違います。ICUは留学生も日本人も英日両方の言語を使えるバイリンガリズムが基本です。米国でのリベラル・アーツは、当然のように全てが英語でなされていますが、それは英語が世界語になっているからであり、本当は短所なのです。ですから日本においてそれを真似する愚を犯してはいけない。国際化というと英語で全て行うことだと思われがちですが、本来なら英語と日本語で行うべきだと考えます。最近は留学生が、ICUにきたのは日本語で授業を受けられるようになるためだと言って、親切心で英語を使っても逆に嫌がったりしますよ。

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ICUの国際交流にはどのようなものがありますか?
  国際基督教大学の鈴木 典比古学長現在21ヵ国56大学と交換留学提携をしていますが、一番大きな提携校はカリフォルニア大学です。最近も交換留学制度40周年のシンポジウムを開催しました。ICUは歴史的な経緯もあって米国とのつながりが非常に強いですが、これからアジアとの関係も強化していくつもりです。

また、海外英語研修(SEA:Study English Abroad)プログラムという夏休みの6週間のコースや夏期英国文化研究プログラム、夏期留学プログラム等の短期留学もあります。短期も含め留学先で取った単位は、審査の上最大30単位までICUの単位として認められます。そのためにも大学間でお互いに同じ水準の授業を提供するように努めています。たとえ短期でも、本学の学生は単に英会話を勉強しに行くのではないんですね。そのため、受け入れ大学がICUの学生にレベルの低すぎるクラスを提供した場合には、ICUの学生から不満が出ます。もっとレベルの高いクラスに入れるように交渉してくれなければ、あの大学でこのプログラムをやるのは反対だと言うのです。そのため契約を断った大学もありました。しかし時には、一度断った後にパートナー校がプログラムを改善したので再開したというケースもあります。このような厳しいやりとりがあればプログラムの質が改善されますからね。

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ICUでの交換留学の位置づけについてはどのようにお考えですか?
 

比喩的にいえば大学は学生という原材料を4年間で製品に仕上げる工場です。今は入試の時期ですが、入学試験を実施し、合格させて原材料を手に入れたわけです。そして4年間かかって、工場のアセンブリーラインで製品に仕上げていくのです。4年間終わったときに、向こう岸に泳ぎ着いて個として出発するというところまで持っていくことが我々の仕事です。その中での交換留学の位置づけは、ICUのアセンブリーラインをちょっと止めて、留学先のアセンブリーラインで1年間みがきをかけて、帰国後にICUで最後の仕上げをする感じです。ですから交換留学は、「原材料(学生)をお互いに磨きに出す」ことです。相手校とレベルが同じでないとうまくいきません。
現在では、再び比喩を使えば原材料(学生)を単に輸出入(交換留学)するのではなく、加工請負をしようという試みが行われています。つまり、海外から一括請負でICUに原材料が送り込まれ、ICUで最後の磨きをかけるのです。そのためにアセンブリーラインであるICUのプログラムをしっかりつくり、我々は当然「加工賃」をいただきます。実際にここ5年間くらい、毎年1学期間フランスからの学生を30人ほど受け入れています。また、国際ロータリーという世界的組織が世界の7つの大学を選んで、毎年平和研究修士プログラムに10名ずつ学生を送っていますが、本学はアジアで唯一の受入れ校です。これも一種の加工請負ですね。

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その加工請負を行なううえで重要なことは何ですか?
 

この加工請負を成功させるためには、当然ICUの教育プログラムの品質が世界標準であると保証されている必要があります。それがあるからこそICUで磨かれた製品はquality controlをパスしていますと公言でき、海外から学生が送られてくるのです。しかしこの品質保証はなかなか難しい問題です。日本ではICUの教育はリベラル・アーツ、少数教育、語学など高く評価されていますが、これは日本国内のみの評価であり、世界標準からみれば当たり前の水準です。世界標準のレベルの教育内容を国際的に認証してもらわなければならない。今ICUはそのために海外の大学認証機関に認証を申請しています。それはICU教育が世界標準を満たし、それを上回っていることを明確にする世界標準化の海外戦略をとろうとしています。

国際基督教大学の鈴木 典比古学長私達は日本の大学教育改革を世界的環境の中で論じる必要があります。日本の大学教育の改革は、日本の産業界が踏んだ轍を踏みつつあるのではないでしょうか。1980年代、Japan as No.1などと言われて有頂天になった後バブルがはじけ、おびただしい数の企業が倒産しました。globalizationがおこり、その世界標準に日本は乗り遅れ、自分で立ち上がれずに海外の経営者から助けてもらって再生を始めている状況ですよね。私は同じことが教育界にも起こると思うのです。今EUや米国では大学の認証が世界戦略としておこっている中、日本ではようやく今年になって第三者認証機関が認証を行うことが法的に義務づけられました。日本の大学の質の保証も世界に通用するものでなければなりません。
ですから日本の大学と世界の大学が同じ教育の質を保証できるような橋渡しをつくっておかなければいけない。日本の企業も2000年代に世界標準に達している企業は元気です。日本の大学教育でも世界標準に向かっていかなければならないでしょう。

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ツールとしての英語はどのように指導されているのですか?
 

ICUでは「英語でリベラル・アーツを」がキャッチフレーズですから、英語は授業を受けるための手段です。英語は他の大学に比べ履修単位数でも3倍くらいあります。英語に限らず、ICUの学生はよく勉強をします。私はその秘密は1年次に受ける英語教育プログラム(ELP: English Language Program)にあると思っています。

新入生はほっとする間もなく、入学式の翌日にはTOEFL-ITPを使ったプレイスメントテストで英語のレベルを判別し、クラス分けされます。そこからもう英語がどんどん始まります。すごいカルチャーショックもあるでしょうが、これがなるほど大学の勉強かと受け止めざるを得ない。初めにジャポーンとELPプログラムに飛び込み、訳もわからず、犬かきでもなんでもいいから泳ぎだすのが一学期ですから、おそらくかなり大変だと思います。しかしこの1年間の悪戦苦闘が、実は大きな違いを生み出します。

また学生一人あたりの図書館の貸し出し冊数も、ICUは日本一です。一人あたり一年間に58冊、1週間に1冊以上借りていることになります。図書館利用者数も、3000人の全学生数のうち一日に1500人くらいいます。昼寝している学生もいるでしょうけどね(笑)。でもそのくらい頻繁に使われているのです。
とにかく勉強するように仕組まれています。出発点のELPで否応なく始まる勉強を前提にしてほかのコースも宿題を与えるので、ELPの役目は単に英語だけではなく、勉強する習慣を知らず知らずのうちに身に付けさせることですね。

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TOEFLテストも2005年9月、日本では2006年に変わります。今度はスピーキングも入れて、より実践的な英語運用能力を測れるようになります。
 

私自身も米国へ留学するためにTOEFLテストを受けました。また、私が米国で教えていたときには、日本人含め東洋人がTOEFLテストで高得点を取っていてもディスカッションは苦手であるというのが気になっていましたから、スピーキングが入ったテストになるのは非常にいいことですね。もちろん大変だとは思いますが、個人的にはその次世代TOEFLテスト自体が留学の際に一部の資料としてではなく、全部の資料だと認められる可能性あると思いますよ。

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最後に、卒業生や在校生へのメッセージをお願いします。
 

自分で自分の方向を決めていくこと。そうすれば自分に納得がいく。個としてちゃんと生きていける人間になってもらいたい。偉くなる必要はない。国内外で相手のことを理解できる人間になってもらいたい。個人は皆マイノリティなのだから。

(インタビュー:2005年2月17日 TOEFL事業部 秋山 めぐみ)

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